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私達の親神様(おやがみさま)は、天理王命様(てんりおうのみことさま)と申し上げます。
もんかたないところから、人間、世界をおつくり下された元の神様、実の神様であります。
親神様は、教祖(おやさま)を「やしろ」として、その思召しを人間世界にお伝えくださいました。
私達は教祖によって、はじめて親神様の思召しをきかせていただきました。
教祖は中山みき様と申し上げます。
親神様は、陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと思召されて、人間をおつくり下さいました。
陽気ぐらしこそ、人間生活の目標(めどう)であります。
私は親神様の御教をしっかり心に治め教祖のひながたをたどり、ひと様に喜んで貰えますように、毎日つとめてまいりたいと思っております。 |
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ここの文章はは「別席の誓い」を引用しています。
天理教のエッセンスを見事な簡潔さで説明していると同時に、さらに深く知りたい人への道標が織り込まれていると、私は思っています。
そして最後の部分は、私の心構えです。
「おさづけの理」を戴いたときの感激をいつまでも心の中に持ち続け、生きていこうと思っています。 |
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「元の理」は、天理教教典の第三章に書かれています。
そこには、親神様が現代にまでつながる命を仕込んだこと、そして生命の成長の物語が書かれています。
しかしそれは誰もがすぐに信じることができる話ではないかもしれません。
そこで「元の理」と地球の歴史の符合する点を書き出してみました。
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ポイント |
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天理教教典「元の理」から |
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地球の歴史 |
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人間を造りだした理由 |
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親神様は人間の陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと思った |
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いつ、どのように命を仕込んだか |
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9億年余り前
「雛形」と「道具」を引き寄せて、「男」と「女」を創造
(ふうふをこしらえきたるでな)
最初の命は非常に小さな生物 |
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40億年前、最初の生命(原始生命・単細胞の分裂で増殖)が誕生
10億年前、多細胞生物(有性生殖で繁殖)の誕生 |
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| ・ |
その後の生命の成長、繁栄は順調ではなかった |
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三度の絶滅があったことが書かれている |
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4億3千万年前頃、生物の大量絶滅(オルドビス紀末)
3億6千万年前、生物の大量絶滅(デボン紀後期)
2億5千万年前、生物の大量絶滅(ペルム紀)
2億2千万年前、生物の大量絶滅(三畳紀末)
6千5百万年前、生物の大量絶滅(白亜紀末) |
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| ・ |
生命はどこで誕生したか |
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水中で誕生し長い時間水中で暮らしていた。
その後人間につながる生物は陸上で暮らすようになった。 |
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4億年前、陸上植物が出現
3億7千万年前、陸上動物が出現 |
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人間はどのように |
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命は虫、鳥、畜類など、何世代も経て人間につながる一匹(一種類?または個体数が極めて少ない種類?)の猿に至った
さらに進化は続き、現代の人間ができた |
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3億年前、昆虫が拡大
2億年前、哺乳類の出現
約5千5百万年前、霊長類の出現
約6〜5百万年前、ヒトとチンパンジーが分化、猿人の出現
約23万年前、ネアンデルタール人の出現
約20〜19万年前、ホモ・サピエンスの出現
約10万年前、ホモ・サピエンスがアフリカを出て世界各地に拡がる |
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さて、今の時代でこそ「生命の成長」ともいうべき生物の進化はあたりまえの知識となっていますが、中山みき様が親神様のやしろとなられた頃、教祖の口を通して親神様が生命の壮大な歴史をお伝えになった天保9年(西暦1838年)はどんな状況だったでしょうか?
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ダーウィン |
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1831〜1836年 地球一周旅行:生物の進化の研究のきっかけとなる
1859年 「種の起源」で進化論を発表 |
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当時進化論は理解されず |
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メンデル |
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1865年 メンデルの遺伝の法則を発表 |
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1900年まで理解されず |
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江戸時代に、大和の国庄屋敷村のひとりの主婦が、9億年の昔神が命を造りだし、進化によって人間が誕生したと言い出したのですから、周囲の人々が気がふれたと思ってしまったのも無理はないことでしょう。
さらに、厳しい身分制度があった時代のことですから、武士も農民も職人も商人も、さらにはアウトカーストとされていた人々も人間みんなが「一列兄弟」などという思想が広がることは、社会基盤を揺るがす一大事だと恐れた人たちもたくさんいたことでしょう。 |
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「ちょいとはなし」は、『みかぐらうた』の「おつとめ」の2番目の歌で、祈念のつとめと名付けられています。
親神様が教祖の口を通してお伝えになった言葉ですが、親神様の人間の創造を知った人がそれを広めようとして話す言葉としてもよいのではないかと、私は思います。
(私の英訳では、後者の解釈としました)
ともかく、親神様とは「さあ全知全能の余の話をありがたく聞け」などという高圧的な態度で人間を威圧する神様ではありません。
「ちょっと話をする、神の言うことを聞いてくれないか」で始まる「ちょいとはなし」からは、だれもが親神様のあふれる優しさと、親神様への親しみを感じてくれることと思います。
このサイト「ちょいとはなし」は、仕事を終えた夜間や週に一度の休日に作成しています。
このため進捗状況は遅々たるもので、さらには公開する内容が私の知識の増加に伴って膨らんでいくことと思います。ですから、このサイトの作成には終わりがないのかも知れません。
なにかめづらしこのふしん
しかけたことならきりハない 『みかぐらうた』十二下り目七ツ
(目に見える普請ではなく目には見えない"心"の普請、
心を建築する作業なのですから、どこまでいけば完了と
いうものではありません。
いつも向上心を抱いていなさい。 ・・・ 山倉の解釈)
貴重なお時間を割いてこのサイトをご覧くださいますみなさまに、心から感謝申し上げます。
そして「ちょいとはなし」をご覧になった方々から温かいご声援やご指導を賜ることができましたら、大変ありがたいと思います。 |
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